気付いたら白い長い廊下にいた。
傍らには、灰色のスーツを着た人のよさそうなお兄さん。 でも変なの。顔の真中に上から下まで黒い線。 表情がなかったら、何かの映画で観たサイボーグみたい。 ――あ、目が合った。 「ようこそ、霊界へ」 にっこり笑ってお兄さんは言った。 そうか、私は死んだんだ。 通路を歩きながらお兄さんは教えてくれた。 ここは霊界空港へ続く通路なんだって。 「私は今からどこへ行くの?天国?」 「おや?まだ思い出していませんか?」 意外そうな顔をしてお兄さんはまた微笑む。 思い出す?何を? 「あなたの荷物の中を捜してごらんなさい」 「荷物なんてそんなもの………あれ?いつの間に?」 使い慣れたヒップバック。仕事中もプライベートもずっと使ってた、お気に入りのこれ。 いつの間に持ってたの? 言われるままに手を入れる。 バックはいつものものだけど、中身は、ない。 そうだよね。もうあれは必要のないものだし。 ふと、指に硬い薄っぺらなものが触れた。 「なにこれ?」 引っ張り出す。 それは白い―――― 「白いパスポート?」 思い出した。 私はこれからこのパスポートを使って、光の国へ行くんだ。 「思い出したみたいですね?じゃ、行きましょう」 そう。人は死んだら天国へ行くんじゃない。 光の国へ旅立って、光になるんだ。 「私…………私光になれるんだ」 ぼそりと口をついて出たことば。 お兄さんはにっこり笑って肯いた。 「そしてここが空港への入り口です。 ロケットはまだ来ませんから、中で時間を潰すことになりますが、何かありましたら私達に声をかけてください」 ふいに私の頭上が持ち上がる。目の前には階段。 おそるおそる階段に足を乗せた。 振り返る。 ひょいっと首を傾げてから、お兄さんは微笑んだ。 足を揃えて姿勢を正して、見事なレベランス。 そしてにぃっと笑って、手で『行け』と促した。 自分の目で確かめろってことだね? よーっし! * 「――――――ここが、霊界?」 一歩踏み出したそこは…なんて言うんだろう。 ああ、あれよ。総合病院の待合室。 ざわめきと、静けさの同居する不思議な空間。 走り回るガキと、気の抜けたような大人と、病の人と、老人。 あの空間に似てる。でもちょっと雰囲気が違うのは、きっとこれから素敵な未来が待ってるから。 そしてその中を縫うように、忙しそうに動き回る灰色のお兄さんたち。 その働く姿は自分がつい最近までいた世界でよくみかけたものと同じ。 「なんか、すっごい拍子抜け〜」 ついつぶやいてしまう。 だって、なんかこれって… 「現実と変わんないじゃん!―――ですか?」 いきなり後ろから話し掛けられて吃驚した。 振り向くとにやりと笑う灰色スーツのお兄さん。 「びっくりしたぁ!」 「はは、すみません」 さっきのお兄さんと同じで、やっぱりこのお兄さんも表情が豊か。顔全体で話し掛けてる感じがする。 なんかすごく話しやすい。だから顔に線が入っていても気にならないのかもしれない。 「でもホントにその通りよ。すごく期待っていうか、ドキドキして来たのに」 「そうですね。皆さんそうおっしゃいますねぇ」 そういえば、さっきから気になってたこと、教えてくれるかな? 「ね、お兄さん。お兄さんたちって、天使なの?」 お兄さんは一瞬きょとんとして、それからくつくつと笑い、 「それもよく聞かれるんですよね、違いますよもちろん」 と言い、ちょっと背筋を伸ばす。 「我々は、霊界空港職員です」 そのまんまやないかい!と横ツッコミを入れようかとも思ったけど思いとどまった。 「じゃ、人間とか、幽霊なの?」 「それも違いますね。我々は言うなれば思念の固まり……違いますね。我々は本来姿を持たない者なので、こうやって仮の姿で働いてます。ええと、とにかく、職員なんです。しかもなんと、個性まであるんですよこれが」 ちょっと擦れた声の早口で話すお兄さん。 「んー、よくわかんないけど。じゃ、別に人間の姿じゃなくてもいいってこと?どんな姿も取れるってことよね?天使の姿だって構わないんじゃないの?」 お兄さんはよくぞ聞いてくれました!という顔をして私をちょいちょいと呼んだ。 顔を近づけるとヒミツを打ち明ける子どものような顔をして 「あんな羽根がわさわさしてたら、仕事をするのに邪魔じゃないですか」 と言ってのけた。 なるほど、あんな服で羽根がばさばさしてたら仕事できないかぁ…… 「って、そういう問題なの!?」 「ええ、この姿がやっぱり一番仕事しやすいんですよ。でもって顔のコレは、あなた方との区別のため、ですかねぇ。我々も手が足りないから、腕が4本とかあったらいいのかもしれませんが、それはそれで怖がられちゃうでしょうしね?」 そして茶目っ気たっぷりに加える。 「まあもちろん、忙しいとか言いながらも時にはこうして説明しているフリをしてサボったりしますけど」 その言い方があまりにもったいぶっていたので思わず目を合わせてしまい、思いっきり笑ってしまった。 「おい、ちょっといいか?」 向こうの方から別の職員さんが声をかけてきた。 そちらを振り返った瞬間、さっきまでふざけていたお兄さんの表情がすっと引き締まったのを見逃さなかった。 手を上げて返事をして、またこちらを向いた時にはもうさっきのお兄さんだったけど。 「ああ、呼ばれてしまいましたね。それではお嬢さん、失礼します。よい旅を」 そう言って、ぴっと姿勢を正すと敬礼一つ。 その姿は紛れもなく働いている人の姿で。思わず手が動きそうになる。 彼はポケットからサングラスを出し、かけながら去っていった。 なぁんでサングラスなんてかけてるのかな。 でも、なんかあの姿にはお似合いだね。 することもないから適当に座る。 こうして見ていると、お兄さんたちは実に忙しく働いているのがわかる。 確かに、羽根なんてついてたら鬱陶しくてかまわないかも。 佇む人、座り込む人、歩き回る人。国籍も性別も年齢も別々の人たち。 その人の間を早足で移動する。 人に相対する時はサングラスをはずし、微笑を常に浮かべている。 「プロ、だなぁ……」 さっきのお兄さんも、真剣な顔で忙しそうにしてる。でも心なしか楽しそう。 あ、だめだ。 気付いたら手が、パースをとっていた。 ここにはあの子はいないのに。 ふと鼻の奥がじわーっとする。 なんで?どうして? 私は今から光になるのに。 時には友だちで、時には敵だった、大好きな光になれるのに。 私まだ、いきたくない。 「どっ……どうしたんですかっ!」 慌てふためいた声に我に返った。やだ、私泣いてるじゃないの。 「なんでも、ない……」 だめ。止まらない。 「ええと、大丈夫ですか?」 もう一度かけられた声に顔をあげると、心配そうに見つめる職員さんがいた。 ハンカチを差し出されて、霊界にもハンカチってあるんだなぁなんて変なことに感心しながらありがたく受け取った。涙を拭くけど止まらない。 「大丈夫……じゃ、ない」 お兄さんを困らせるわけじゃないんだけど。 「行きたく、ない」 「はぁ?」 慌てる気配。 「今は、行きたくないの。やりたいことがあるのに、やれないの。だから、行けないの」 わがままだと思う。多分お兄さん困ってるんだと思う。でも。 涙が止まらないよ。 「どうしました?」 お兄さんとはまた違う、穏やかなテノールが聞こえてきた。 「あ、エンジェルさん……って、デビルさんは」 少し慌てたお兄さんの声に応えるテノール。 エンジェル(天使)?デビル(悪魔)? 「いませんよ。いなくてよかったですよホントに―――― お嬢さん、どうしました?」 後半は私に言ったらしい。肩に手がかかる。優しい声。 顔を上げると、顔の整った、線も入っていない白い服のお兄さんが覗き込んでいた。この人がエンジェル? 多分そうなんだろう。白い服に爽やかな笑顔を乗せたお兄さん。 「私、今どうしてもやりたいことがあるのにやれないの。だから、行けないの」 「やりたいこと?どうしたんですか?」 微笑をくずさずにエンジェルさんは訊ねてきた。 「私…私、写真を撮りたいの」 「「「写真!?」」」 いつの間に集まったのか、灰色のお兄さんたちが声を揃えて聞き返してきて吃驚した。 「なんですかあなたたちは」 呆れたようなエンジェルさんにお兄さんたちは口々にいや気になったからとか私が最初に聞いたんですとか言い訳をしている。その姿がなんだか楽しそうで、思わず笑ってしまう。そして、同時に、ずきんとする。 「ごめんなさい、わがまま言って。私、今すっごく写真を撮りたいの。でも、カメラ、持って来てないの」 そう、この空間。私が愛してやまなかった「仕事」のある空間。 仕事をしている人たちの間に流れる連帯感、緊張感、充実感。 私は、仕事人たちの写真を撮るカメラマンだった。 それはまだ仕事の範囲でしかなかったけど、それでも高校生の頃から、私は写真を撮りつづけてた。 お兄さんの一人がなにやらファイルを持ってきてエンジェルさんに渡した。 彼は一読すると納得をしたように大きく頷いた。 もしかしてあれ、私の履歴書みたいなものなのかなぁ。 「そうですか。あなたはカメラマンだったんですね。…でも、何の写真を?ここは霊界空港です。美しい風景も、綺麗な花も、何もありませんよ?」 何もないかもしれないけど、お兄さんたちはいるよ。 「いいの。私が撮りたいのは、ここの皆だから。忙しそうに働いてる、おにーさんたちだから」 職員さんたちは吃驚した顔をした。エンジェルさんはふわりと、ちょっぴり哀しそうに微笑んで私に言う。 「ここを撮りたい、そして今あなたはカメラを持っていない。それが悲しくて泣いていて、だから行けないんですね?」 「そう。だって、ここにはあの子がいないの」 あ、だめ、また泣けてきちゃった。 彼はそんな私の頭を優しくなでて、そしてゆったりとこう言った。 「荷物をもう一度ご覧なさい。今度はあなたの欲しいものを想って」 「荷物を?だって、さっきは何もなかったし…」 それでもエンジェルさんは笑顔のまま。 横を向くと、お兄さんたちは力強く肯いてくれた。 うん。信じればいいんだね? ヒップバック。 いつもの荷物を思い出す。 カメラとフィルム3本。 仕事じゃなくても持ち歩いていた。いつでも撮れるように。 今一番恋しいもの。 手を差し入れる。 硬い冷たいものに触れる。 指が知っている。 「あ……」 思わずエンジェルさんを見ると、にっこり笑ってぐっと手を握っている。 「さあ、出してごらんなさい」 高校生の時、こっそりバイトしたお金で初めて買ったライカ。 プロになってからも、現役で。 仕事用の一眼レフとは比べ物にならないけど、私はこの子で撮った写真を焼くのが楽しみだった。 それが今、再び手の中にある。 「よかったですね!」 お兄さんの誰かが言った。 「これで写真が撮れますよ!」 エンジェルさんが言った。 そしてお兄さんたちが口々に何か言って肩を叩いてくる。 ライカが戻ってきたことが嬉しくて、お兄さんたちの優しさが嬉しくて、また涙が出てきちゃった。 「うんっ!ありがとう!」 手が勝手に動く。 一番撮りたかった人たちに、カメラを向けると、ファインダー越しにみんなの笑顔。 ありがとう。 思いっきりの感謝の気持ちをこめて、シャッターを切った。 * * * 旅立ちのための衣裳に着替えることもなく、デビルの嫌味もものともせず――ついにはデビルの笑顔さえ引き出し、搭乗手続きが終わる直前までにきっちり3本分のフィルムを使い切って、彼女は光の国へ旅立って行った。 「なんか……ピコちゃんを思い出しますねぇ」 ギリギリで旅立っていった彼女を見送った職員の誰かが呟いた。 「何言ってんのよ、ピコよりもあの子の方が数倍静かだったわよ」 カウンターの向こうでデビルが一つ伸びをしながら応える。 実際彼女が写真を撮ることになったとエンジェルから聞いた時は、邪魔をしたり騒いだら地獄送りよ!などと騒いでいた彼だが、いざカメラを握った瞬間から真剣なまなざしになった彼女の姿に少なからず関心したのだ。 「すごいですよ、彼女は。想いだけで、こんなしっかりしたものを作り出せてしまうんですから」 そういうエンジェルの手には、彼女の残していったカメラとフィルム。 「あ、やっぱりそれ、置いて行っちゃったんですか」 「そう。もう必要ないものだからって、ね」 ―――出来上がった写真は見たくないんですか? 誰かの問いに、彼女は胸を張ってこたえた。 『言ったでしょ、写真を撮りたい、って。残したいんじゃなくて、撮りたかったの。 それにシャッターを切る毎に、私の中に絵は貯まってるのよ。』 彼女は誇らしげに微笑んだ。 『それにね。今から私は光になるんでしょ?いつも私の近くにあった光に。 撮りたかったものを今度は照らしに行くの。誰かが私の光を使って写真に収めてくれるかもしれない。 それも素敵よね? 最後の最後に、お兄さんたちを撮影できて嬉しかったです。 本当に、ありがとう!』 そう言って、見送っていた職員の全員に、音を立てたキスを残して行った。 エンジェルは手の中のライカを弄びながら、彼女にキスをされた時のデビルの表情を思い出してつい笑ってしまう。 「どうしたんですか?」 職員に声をかけられ、あわてて首をふる。 「いや、なんでもありませんよ。それより、これもやっぱり消えてしまうんでしょうね」 そしてカメラとフィルムを自分のカウンターに置いた。 思念の塊。 想いが生みだした夢のような存在。 創造主は光になってしまった。 思念は薄れる。しばらくすれば消えてしまうだろう。 少し残念そうに職員たちはカメラを見つめる。 「ほーら、あんたたち!いつまで油売ってんの!さっさと仕事に戻りなさーい」 デビルの声に、ひょいっと肩をすくめ職員たちは持ち場に戻る。 エンジェルも苦笑いして職員たちを見送ってからふとカメラに目を移す。 するとそこには、カメラの代わりに一枚の写真。 エンジェルは目を見張る。 「ホントに………なんて人だ、現像までしてしまうだなんて」 自然に笑みがこぼれる。 それは彼女がここにきて一番最初に撮った風景。 彼女の喜びと感謝の気持ちで生まれたその写真は、今でもエンジェルの机の中にこっそりしまってある。 Fine. 1stUP.20020216 夢から醒めた夢・楽日を前に 元々はキリリクから生まれたこの話、当然ながらそれぞれの職員さんにはモデル、というかこの人という人がいます。 最初から順に、澤村さん、石野さん、萩原さん、川口さんです。表情が思い出せる人は思い出していただけると… 写真と彼らの概念は思念やエネルギーの実体化したもの、です。なのに職員さんたちは個性いっぱい(笑)どないやねん! 「私」について多くは描きませんでしたが、死因は病気。最初から自分の命の限りを知っていたので、「撮る」ということについて未練のない状態で亡くなったと思われます。28歳くらい。職業カメラマンをやっていました 人は生まれる前に死んだら何処へ行くのか、パスポートってなんなのか、すべて教えてもらうのですが、生きている間はそれを忘れているのです。だからピコは知らないけどマコや子供たちは知ってるんですね(笑)、まあ私の中ではそんな設定。 設定的にはピコが来てからもう一年以上。なので、愛すべきあの3人組は白い衣裳を着て(どんな!?)光になったはずです(笑)。ホントは出したかったんですが(笑) |